神社好きに戻るには…

どうしたら元の神社好きに戻れるかなぁ、とか四六時中考えている。

「好き」という感情は自然発生的なものだろうから、
どうしたら好きになれるか、ということ自体、なんだかおかしい気がするけど…

単純に好きだったのだ。
狛犬や竜とかも好きだし、彫刻を見るのも好き。
ついでに言うと神池の大きい鯉を見るのも好き。

神社が行きにくい場所になってしまったのは、
お諏訪さまで粗相したせいもあるけれど、
その一件だけが問題なのではなく、
要は、神社が単なる居心地のいい場所ではなく、
見えない何かが確実に存在している場所である、と認識してしまったことが大きい。


自分はあまりいい人間ではない。
謙遜や遠慮なんかで言っているのではなく、
実際、後悔してもしきれないようなことばかり繰り返して生きているのだ。

神社へ行くと、少し落ち着くというか癒されるような気がする。
だけど、そこに全てを見透かしていそうな存在がいると思うと、
「そんな醜い生き様をさらしておいて、何のこのこ神社に来てるんだ」
と言われているような気がして、
すさまじい自己嫌悪に陥るようになってしまったのだ。

神社なんか行かず、神様なんかいないことにしてしまえばいい、とも思ったけど、
仮に神様がいようがいなかろうが、
今までやってきた悪事の数々は依然として存在し続けるわけで、
何の解決にもならない。

しかも、行くのをやめようとしたお諏訪さまからは、
以後、おいぬさまをしのぐ勢いで存在アピールが来るし…
こうなると、存在そのものを無視したり否定することも難しく…

正直、今の所、神社へ行くことが良い事なのかどうかわからない。
お諏訪さまだって、以前は単純にお参りすることが楽しかったけど、
今は、また粗相するんじゃなかろうかとひやひやしながらのお参り。
そんなお参り、することに意味があるのかどうかも微妙だし…

行きたいのか行きたくないのか、行くべきが行かざるべきか、
答えが出ないまま、もう何か月もたってしまっている。

神社はわけのわからない場所だけど、たぶん今でも嫌いではないんだと思う。
ただ、自分自身が、「神社が好き」なんて言ってしまっていい身なのかどうかが、
わからないのだ。

一方で、そんな状況下にも関わらず、
気づくと伏見稲荷へ行く予算を組んでいたり、
最初の内こそ「なんで?!」だったお諏訪さまとの遭遇も、
ここ最近は、なんだか会うとホッとするような気がしたり…
(今日は朝一でブログ村で、その後日中にも一度会った)

いろいろぐちゃぐちゃだけど、
根本解決には、自分の生き様を見直す必要があるんだろうなぁ。
それができたところで、やらかしてきたことは消せないけど。

普通に神社に出入りできる、まともな良い人間だったらよかったのになぁ。
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